甲子園の土はどこの土!?負けたら持って帰るようになった理由!

夏になると始まるのが甲子園!

毎年高校球児たちが甲子園で熱い戦いを繰り広げ、その姿に目頭が熱くなることも…よくありますよね。

そこで、毎年気になる光景が。

負けたチームが、甲子園の土を持ち帰る光景です。

全力で戦い、力及ばず敗退…3年生にとっては負けた瞬間が部活の引退です。

みんな悔しそうに唇を噛みながら、涙を流しながらグラウンドに出て甲子園の土を瓶や袋に詰めていく…。

冷静にこの光景を見てしまった人は、いろんな疑問が浮かぶと思います。

そもそも甲子園の土ってどこから取って来てるの?

甲子園の土、なんで持って帰るの??

…そもそも誰が初めに土を持って帰ったの???

今回は、そんなみなさんの疑問にお答えしようと思います!

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甲子園の土はどこの土?

これは、甲子園の公式ホームページに掲載されています。

その内容を引用すると、

『岡山県日本原、三重県鈴鹿市、鹿児島県鹿屋、大分県大野郡三重町、鳥取県大山 などの土をブレンドしている。(毎年決まっているわけではない。)』だそうです。

引用元  http://www.hanshin.co.jp/koshien/qa/answer06.html

これを読むと当然、気になりますよね。

(毎年決まっているわけではない。)』が。

これは、常に甲子園のマウンドなどの状態を良いものに保つためです。

そのために、毎年ブレンドの配合を変えながら、時には取ってくる地域を変えながら、常に良い状態を保つために手間暇かけてあのグラウンドの土を作っているのです。

良い状態を保ってどうなるか?というと、日頃私たちが野球で見る自然にボールが跳ねたり、転がったりする感じになります。

また、変に土が硬くなりすぎると、ベースにスライディングしてきた選手がケガをしてしまう可能性があります。

そういったことを避けるために、常にベストな配合を考えて甲子園の土は作られている!ということです。

また、季節によって土と砂の配合を変えているそうです。

こちらも甲子園の公式ホームページを見てみると、『春は雨が多いため砂を多めに、夏はボール(白球)を見易くするために黒土を多くブレンドしている』

夏の甲子園がいつも注目されがちですが、春はセンバツがありますよね。

その時には多少の雨では水たまりができないように、水はけをよくする意味で砂が多めになっているとのこと。

そして夏には、高校球児たちが追いかける白球が見えやすくなるよう(球児たちにも、そして観客にとっても)、黒土を多めにしているのです。

凄いこだわりを持って甲子園の土が作られていることがわかりますね!

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なぜ、持って帰るの?

持って帰るのにはいくつかの理由があります。

一つは、やはり記念として持ち帰る、というもの。

甲子園のグラウンドに「選手として」立つことは、簡単なことではありません。

夏の暑さの予選大会を勝ち抜いて代表校になり、甲子園に行くことができる高校は限られています。

「自分は確かに努力し、ここまで辿り着いたのだ」という証になるのです。

もう一つは、甲子園で負けた悔しさを忘れないために持ち帰る、というもの。

土を持ち帰る=その試合に負けている、ということですから、「この試合で負けた悔しさを忘れず、次には必ずリベンジしてやる!!」という心意気で持ち帰っているというものです。

この理由で持ち帰るのは、まだ次の大会に出場できる1.2年生に多いそうです。

高校野球を見ていると様々なドラマがあり、そのドラマが繰り広げられた場所、自分たちの今まで頑張ってきた想い全てが込められていて象徴になっているもの、それが甲子園の土であるからこそ、持って帰るのでしょう。
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持ち帰るのはいつから始まった?

一番有名な説は「打撃の神様」として名高い川上哲治氏が、夏の甲子園第23回大会で持ち帰ったのが始まり、という説です。

甲子園の公式ホームページを見ると、「甲子園の土を持ち帰る風習は川上哲治氏から」となっています。

しかし、川上氏の長男の「最初に甲子園の土を持って帰ったのは、父ではない」との発言が残っているので、「いつから甲子園の土を持って帰る風習は始まったのか?」の真相は定かではありません。

ですが、私たちに「甲子園の土=負けたチームが持ち帰るもの」という考えが広まったのは、とある事件がきっかけであると言われています。

それは、1958年の大会で沖縄の首里高の選手たちが持ち帰ろうとしたら、検疫に引っかかり海に捨てさせられた、という事件です。

当時、沖縄はまだアメリカ統治の下にあり、アメリカの国の一部という扱いになっていました。

そんな中、首里高は戦後初めて沖縄県代表として甲子園には参加できましたが、地元である沖縄に帰る時には入国検査があり、その検疫で引っかかってしまい泣く泣く首里港に捨てられた、という事件です。

この事件が大々的に報道されたことにより、「甲子園の土=負けたチームが持ち帰るもの」という認識が私たちの間に広まった、ということです。

ちなみに、この話には後日談があります。

「こんな事件、悲しくて本当に悔しい!」と思った当時日本航空の客室乗務員の女性が、検疫法にはひっかからない甲子園の石を40個近く集めて首里高に贈ったのです。

現在でも、首里高にはこの「甲子園の石」がはめ込まれた甲子園出場記念碑があるそうです。

野球をしやすいように常に調整を繰り返されている甲子園の土について、この記事でわかっていただけたでしょうか?

今年の夏甲子園で野球をする球児を見る時に、また違った視点から見ることができるかもしれませんね。

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